オタク大学生の日記

愚痴の置き場(あと色々実験したりする場)

最近もやもやしてたこと

 卒業研究で機械学習について勉強していく中で、色々情報を収集しなきゃと思ってTwitter人工知能関連の分野の人をフォローし始めたんですよね。TLでその人たちのツイートをいろいろ追っていくと技術の進歩についてや、こんな成果をあげたって感じの情報が色々発信されていてすごく楽しいんです。ここ最近だと汎用のAIの実現?が5~10年の間に起こる可能性を捨てきれないと考えている研究者も少しであるけどいるとか、何十種類のゲームを一つのAIがプレイしていたりとかとか.....。僕自身は最先端の研究を追っかけてるわけではないので詳しい話は全く分かっていませんが、どんな分野でもできないと思われていたことができるようになるっていうのは夢があるなあって思います。そんな中で4月ぐらいにテレビに取り上げられたらしい新井紀子さんのAIの本をちょっと前に読んで色々感じたことがありました。まず、確かにそうかもしれないなって思ったのが次のようなことです。

・人の思考を機械に行わせるにはそれらを数式化する必要がある

 これに関してはまあ元も子もないと言いたいとこではありますが、もし今のままいけばこの点においてある種の限界が見えてくるのかなって考えてしまいます。ただこの点について万能ではないから期待しすぎるのはよくない、この点を踏まえたうえで研究が行われるべき、とか言っているのなら何も感じたりしませんでした。しかし、読んでいるとどうしても完全な人工知能みたいなものはありえないと断定してしまっているんではないかと思ってしまいました。もちろんいわゆる人工知能というものが実現するのは10年や20年そこらでは多分無理だろうと思いますし、できるはずという思い込みで研究をすることが不利益なことも十分わかっています。だからこそシンギュラリティは来ない、と断定するのは研究者としてどうなのかなって思ってしまいます。

 まあ何が言いたかったかというと、この人の本に関することに限らずどうしてもどちらかの立場に肩入れしてしまうのが最近の悪い癖というか悩みです。Twitterを見てるとどうしても次のような時に、「いや、そんなことはない。そんなこと言う人は間違っている」って気持ちが出てきてしまいます。

例えば

・自分が好きな作品が自分にはよく理解できない部分で批判されていた

・自分が今まで支持していた考えや意見が真っ向から否定された

 一つ目のことに関しては変に考えすぎないように心がけ、100%受け入れられる作品なんでモノがないんだって割り切るしかないと思ってます。一度このブログでも書いてはいますが、楽しめない作品にわざわざ付き合う必要なんてないのかなーって。

 二つ目については先に挙げた本の例や主に政治思想関連の話ですね。これはなんとか相手の意見をまず理解して受け入れても大丈夫なやつか判断したりしています。特に政治的な話題に関しては互いに都合の悪いことは発信しないので基本的には軽く受け流すようにしています。

 

 ここまでダラダラと中身のないことを書いてきましたが、もし読んでくれた方がいるのであれば本当にありがとうございます。ときたま増えるアクセスがどの記事なのかはよくわかりませんが、アクセスしてもらえるだけでもなんというかありがたいです。...コメントとか書いてくれてもいんですよ?